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奈良地方裁判所 昭和36年(行)7号 判決 1964年6月22日

原告

釜谷道恵

(外一四名)

(別紙原告目録記載のとおり)

右原告一五名訴訟代理人弁護士

東城守一

陶山圭之輔

右訴訟副代理人弁護士

村野信夫

(外一三名)

(別紙原告代理人目録記載のとおり)

被告

右代表者法務大臣

賀屋興宣

被告

下市郵便局長

松田徳次

被告両名指定代理人

検事

鰍沢健三

被告国指定代理人

法務事務官

藤田康人

郵政事務官

魚津茂晴

主文

原告柳本幹子を除く原告らの、被告下市郵便局長が同原告らに対して昭和三六年三月一八日付でした願により郵政省職員たる職を免ずる処分の取消請求はこれを却下する。

原告そらの余の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、申立

一、原告らの申立

被告国は原告らが郵政省職員たる地位にあることを確認する。

被告下市郵便局長は、原告柳本幹子を除く原告らに対し、同被告が同原告らに対し昭和三六年三月一八日付でした願により郵政省職員たる職を免ずる処分を取り消す。

訴訟費用は、被告らの負担とする。

二、被告らの申立

主文第一、二、三項同旨。

第二、主張

一、原告らの請求原因

(一)  原告柳本幹子は、奈良県上市郵便局(特定局)に、その他の原告らは、同県下市郵便局(普通局)に勤務し、それぞれ郵政省職員として被告国に雇傭されているものである。

(二)  ところが原告柳本(当時福井)に対しては大阪郵便局長が、その他の原告らに対しては下市郵便局長が、昭和三六年三月一八日付でそれぞれ原告らの願により郵政省職員の職を免ずる旨の処分の発令をなした。

(三)  それは原告宮坂八重子は昭和三五年一一月一日付、原告柳本(当時福井)幹子は同年一二月二六日付、原告玉崎陽子、同福田澄子、同大川クニ江、同植田春代、同岡田昌子は同月二八日付、その他の原告らは昭和三六年一月六日付の各書面で、任命権者に対して辞職の申出をしたことを理由とするものである。

(四)  しかし原告らの右辞職申出はいずれも無効である。

すなわち原告らは郵政省当局から退職をすゝめられて辞職願を提出したが、原告らが所属していた全逓信労働組合(以下全逓と略称する。)は昭和三五年四月二八日成立した「電信電話設備の拡充のための暫定措置に関する法律」(同年法律第六四号)の施行に伴う日本電信電話公社(以下公社と略称する。)の企業合理化計画が実施された場合これに関連して、公社から郵政省に委託されている電気通信業務に従事している全逓の組合員である同省の当該委託関係職員の労働条件に影響があるので、右計画実施による労働条件等について郵政省当局と全逓とが事前に協議決定して実施するとの労働協約、すなわち事前協議協約を当局から獲得するため、当局、いわゆる電通合理化反対斗争中であり、その一環として事前協議協約交渉妥結まで原告らを含む組合員は辞職願を提出しないようにきめていたのに、郵政省当局は全逓支部の一部役員に恩恵を約束して同役員をして全逓の方針に反する辞職願の提出を指導させた結果、本件辞職願が提出されるに至つたもので、当局のとつたこの行為は労働組合がその組合員の討議を通じて決定した方針とその実行を破壊したのでありこの使用者である郵政省当局の言動は不当労働行為を構成するもので、このような事情のもとでなされた原告らの辞職の申出は原告らの自由意思に基づいたものではない。

のみならず前記退職の勧奨は退職の強制でもある。

(五)  仮に右主張が理由ないとしても免職辞令前に次のとおり辞職願を撤回しているので依願免職処分はその前提を欠き無効である。

(1) 原告らは、昭和三六年二月四日大阪郵政局において原告らの所属する全逓近畿地方本部執行委員槇野久次、全逓奈良地区委員長河霜菊雄両名の代理人により、もつとも辞職提出者らの代表の一人として右両名に同行した原告上中栄美子においては自ら、いずれも口頭をもつて、大阪郵政局長に対し右申出を撤回した。

(2) 更に原告柳本(当時福井)を除く原告らは同月二四日に、原告柳本(当時福井)は同月二九日にそれぞれの任命権者に対し、内容証明郵便をもつて右口頭による辞職申出の撤回を確認すると共に書面により辞職申出の撤回を通告したものである。

(六)  郵政省当局は、本件免職処分を原告らの辞職願の撤回が組合の方針に従つたものであることを理由に、これを無視して、発令したものであるからこの行為は不当労働行為にあたり無効である。

(七)  仮に本件依願免職処分が以上の理由によるも無効とならないとしても、本件依願免職処分は辞職願を撤回した本人の意に反する免職処分である点から実質上の解雇にあたり昭和三五年一二月一二日郵政省と全逓との間に締結された「電通合理化によつて過員を生じた際、その過員を理由としては本務者を解雇する措置は行わない」という労働協約に違反し無効である。

(八)  以上のとおり原告らに対する本件依願免職処分は無効であるから原告らは未だ郵政省職員たる地位を有するものである。

(九)  被告国は、右原告らの郵政省職員たる地位を争うので、これが確認を求め、原告柳本を除く原告らは被告下市郵便局長に対して右依願免職処分の無効であることを前提としてその取消を求める。

(一〇)  仮に前掲(五)の事実が処分の無効原因にあたらないとしても取消原因となるものであるから原告柳本を除く原告らは被告下市郵便局長に対し原告に対する本件依願免職処分の取消を求める。

二、被告らの答弁<以下省略>

理由

(一)  原告らが少くとも昭和三六年三月一八日以前その主張の各郵便局に勤務し、それぞれ郵政省職員として被告国に雇傭されていたこと、同日付で原告らに対して任命権者から依願免職処分の発令がなされたこと、右処分は原告ら主張の辞職申出を理由にされたものであることは当事者間に争いがない。

(二)  原告らは右の辞職の申出は自由意思に基づいたものではなく右申出については郵政省当局の不当労働行為が介在し、また退職の強制があつた旨主張するのでこの点について判断する。

<証拠―省略>を綜合すると、公社が昭和三三年から電信電話の拡充長期計画第二次五ケ年計画の実施に入りその一環として電話加入申込積滞数自体が施設力の五割から七割に達している奈良県上市郵便局および下市郵便局外附近数郵便局に委託していた電信電話業務の自動改式直営化を計画し、右各局に対応して吉野電報電話局、下市電報電話局を設置し、地元の要望などのため昭和三六年三月一九日をもつて開局させることとなり、かねての郵政省、公社間の協定により郵政省で右委託業務に従事している職員(原告らに対する本件依願免職処分が発令された当時、原告柳本(当時福井)幹子は上市郵便局の、その他の原告らは下市郵便局の、右委託業務に、いずれも電話交換手として、従事していた郵政省職員であつた。)を原則として公社に採用して新局の職員にあてることとし、そのためには当該郵政省職員を一旦退職させたうえ、公社に採用する必要があり、その手続として郵政省は当該職員に公社への転職を勧め、その職員に郵政省を退職させるため、昭和三五年一〇月頃から右職員に対して転職希望の有無につき意向調書を出させるなどの準備に入つたこと、これに対して全逓では昭和三五年七月に山形県上ノ山市において開催された全逓第一二回全国大会、いわゆる全逓上ノ山大会で右のような措置が組合側と何らの協議なしにされることは関係組合員の労働条件などに不利益をもたらすという趣旨で郵政省、公社の本計画実施による当該組合員の労働条件などにつき郵政省当局と全逓とが事前に協議決定して右計画を実施するとの労働協約、すなわち事前協議協約の締結を郵政省当局に要求することを決定していわゆる電通合理化反対斗争に入り、右交渉妥結に至るまで郵政省の求めに応じないことを定め、上市郵便局、下市郵便局の当該組合員にもその趣旨で辞職勧告に応ぜず居残るよう指導していたこと、しかし郵政省側は上市郵便局においては電話主事で全逓支部役員である喜多宗治らを通じて、下市郵便局においては貯金係の内務主事で全逓下市支部長である蜂谷重行を通じて当該職員に辞職願の提出を指導させたこと、原告らを含んだ一一〇名の右各郵便局の当該職員は組合本部の指導方針と現実に指導にあたつた人々の見解との板ばさみとなつたが、結局郵政省側の意向を伝える人々から辞職願を提出しても後日撤回したいときは許されるが、提出しないと後日公社へ転職したくなつてもできず、郵便局に残留しようとしても数名しか残れなく、殊に非常勤者(原告福田澄子、同大川クニ江、同植田春代、同岡田昌子は辞職願提出当時非常勤者であつた。)は残留すれば自動的に解職されるが転職を希望すれば少くとも郵政省臨時補充員として公社への転職を考慮することを知らされて、各人の辞職願の日付、すなわち原告宮坂八重子は昭和三五年一一月一日、原告柳本(当時福井)幹子は同年一二月二六日、原告玉崎陽子、同福田澄子、同大川クニ江、同植田春代、同岡田昌子は同月二八日、その他の原告らは昭和三六年一月六日の数日前から当日にかけて辞職願を提出することを決意し、自ら或いは友人に依頼して、日本電信電話公社に勤務するため辞職致します旨の辞職願を作成して原告柳本(当時福井)は訴外桝井雪野に、その他原告らは自ら或いは友人を通じて前記蜂谷重行にそれぞれ任命権者への提出方を依頼した事実を認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

ところで辞職願提出の効力は提出者自身の意思につき考慮すべきであるところ、右の事実によれば郵政省当局が全逓支部一部役員をして辞職願の提出を指導させた行為は原告らが辞職願を提出するに至つたことの単なる動機となつたにとゞまるのでその行為が原告ら主張のようなものであつたかどうか、それが不当労働行為にあたるかどうかはともかくとして、提出者自身である原告らはいずれもその真意に基づいて辞職願を作成しこれを提出したものと認められる。

また郵政省当局の退職勧奨が強制となる旨の主張についても右勧奨に際しての言辞態度などが原告らに畏怖を生じさせるような程度のものであつたことを認めるべき証拠がないばかりか、原告らが勧奨者の行為に畏怖した状態のもとに退職の意思表示をしたと認めるべき証拠もない。

したがつて右原告らの主張は採用できない。

(三)  次に原告らの辞職願の撤回の主張について判断する。

まず原告ら主張の昭和三六年二月四日の撤回申出について審理すると、<証拠―省略>を綜合すれば、同日全逓近畿地方本部委員長槇野久次、全逓奈良地区委員長河霜菊雄が全逓下市支部長蜂谷重行ら数名の支部役員と辞職願提出者である原告上中栄美子、および訴外山本智子の下市関係者と他に上市関係者三名を加えて大阪郵政局において同局人事部長津島正らと会見し、その席上河霜委員長は当局側に対し原告らを含む組合員からさきに提出された辞職願を返して貰いたい旨申し入れ、当局者側は、「郵政局としては内部手続を終了しており、公文書となつているからお返しできない。

また直営化の準備も相当程度進捗しているので、本省の指示を伺つたうえで返事をする。」旨答えたという事実が認められこの認定を左右するに足る証拠はない。

右の事実によれば河霜委員長から当局側に対して外形上は原告らを含む辞職願を提出した関係組合員全員の辞職願の撤回の申出があつたとみるのが相当である。

被告らは、辞職願の撤回は要式行為である旨主張するけれども辞職願の撤回につき明文の規定がない現行法のもとではその撤回は口頭でも差支えないと解する。

しかし、本件辞職願およびその撤回のような公法上の意思表示は事柄の性質上自ら直接意思表示をすることを必要とし、使者を介したとみられる場合はともかく、代理人による意思表示は許されないものと解さなければならない。

したがつて被告らが主張する代理権授与の欠缼については判断するまでもなく原告らの主張する代理人による辞職願の撤回の申出は効力を生じていないと解する。

たゞ前記認定事実によると昭和三六年二月四日原告上中は辞職願の撤回申出に同席していたのであるから代理の問題を生ぜず、本人が申し出たと同視すべく、したがつて同原告の関係においては右撤回の申出としての効力を生ずるものといわなければならない。

もつとも被告らは本件辞職願の撤回は任命権者になされたものではない旨主張するけれども、郵政省設置法(昭和二三年法律等二四四号)に基づく郵政省組織規程(昭和三四年郵政省令第二二号)第一六条第二項には「地方郵政局の事務のうち現業事務は、地方郵便局長の監督下において郵便局が行うことを例とする」旨の規定があり、且つ<証拠―省略>によると、本件辞職願の提出その他の取扱については当時原告上中の任命権者である下市郵便局長は終始大阪郵政局の指導下に行動したことが認められ、この認定に反する証拠もないので右申出による意思表示は任命権者である下市郵便局長自体に対してなされたと同一の効果が発生するものと解することができる。

したがつて原告上中については昭和三六年二月四日に辞職願の撤回の申出がされたと認めるのが相当である。

次に原告ら主張の日付の内容証明郵便によつて原告らからそれぞれ辞職願の撤回の申出がなされたことは当事者間に争いがない(もつとも原告柳本(当時福井)については昭和三六年二月二九日付と主張するけれども、右の日は暦上存在せず、成立に争いない甲第一五号証によつても同年三月一日付と認定するのが相当である。)。

(四)  これらの辞職願撤回の申出について、被告らはその効力が無効である旨主張するので以下順次これについて判断する。

(1) まず原告らの身分変動は転任に相当するからこれを拒否することは本来許されない旨主張する。

ところで、日本電信電話公社法(昭和二七年法律第二五〇号、以下単に公社法と略称する。)によれば、公社は公衆電気通信事業の合理的且つ能率的な経営の体制を確立し、公衆電気通信設備の整備および拡充を促進し、並びに電気通信による国民の利便を確保することによつて、公共の福祉を増進することを目的として(同法第一条)従前の電気通信省を廃止し、政府が、公社法が施行された昭和二七年八月一日(同法附則)における旧電気通信事業特別会計の純財産額をその資本金として全額出資して(同法第五条第一項)旧電気通信省が経営して公衆電気通信業務およびこれに附帯する業務その他右目的を達成するために必要な業務等を担当すべく(同法第三条)設立された法人で(同法第二条)右業務に関し公社法施行の際に国が有していた権利義務は公社に承継され、またその際旧電気通信省の職員であつたものは原則として公社の職員となつており(日本電信電話公社法施行法第二条、第三条、以下同法を単に公社法施行法と略称する。)、公社法第七五条、第七六条によれば公社は郵政大臣が同法の定めるところに従い監督し(同法第七五条)、同大臣は必要な場合には公社に対し監督上必要な命令をすることができ(同法第七六条)、公社を代表する役員たる総裁、これを補佐してその業務を執行する役員の副総裁(同法第一九条、第二〇条)は経営委員会(同法第二章第九条以下)の同意を得て内閣から任命される(同法第二一条)が、公社の業務に関する重要事項はすべて公社の経営委員会によつて決定され(同法第一〇条)、その委員は両議院の同意を得て内閣によつて任命されるも名誉職であつて、国務大臣、国会議員、政府職員、公社役員、職員等はその委員とはなり得ず(同法第一六条、第一二条。但し公社の総裁、副総裁はその特別委員となる。同法第二〇条第三項)、公社法、公社法施行法、その他附属法令の諸規定からみれば、公社の機関組織は略一貫してこの経営委員会中心主義と解されるくらいで、公社の職員は公社によつて任用され(公社法第二八条以下参照)公社の財務、会計も各種の制限規定は有するも一応独立採算制をとり、収益性も窺われ(同法等四章第三七条以下、公社法施行法、日本電信電話公社法施行令等参照)、これらの諸点よりみれば、各種制限は存するが公社は政府から一応独立した法人、講学上いわゆる営造的法人というべきであつて、右業務を担当する公社は郵政事業をおこなう郵政省とその経営主体を異にすることは勿論であつて、公衆電気通信法第七条、郵政省設置法第三条第二項により公社の公衆電気通信業務の一部を郵便局において行うべく公社から郵政大臣に委託された場合の委託業務については前掲<省略>によれば右委託業務は郵政省において郵政省職員の身分ある者によつて運営されている事実が認められる。更に<証拠―省略>を綜合すると、本件のような電信電話施設業務の自動改式直営化の場合においては、公社への要員受入計画と郵政省の計画は各別になされるが最終的には公社が決定権を有すること、本件の場合でも昭和三六年三月一九日の直営化の前日の時点までは事前訓練以外の手続は郵政省にのみ任されており、且つ郵政省側に生ずる過員と公社側で採用しうる人員との間に差違があり、両者間の数回に亘る協議で漸く妥協点ができたこと、退職金年限、共済組合関係などの継続はなされても、転出には退職手続と採用手続がなされているし、郵政省の非常勤者はその地位では転職が許されないこと、本件原告らは免職処分と共に身分を喪失した形となり自動的に公社職員となつていないこと(もし転任であるならば三月一九日の時点においては一応公社職員となりうる筈である。)などを認めることができ、この認定に反する証拠はない。

右の事実によれば郵政省と公社とが同一体とはみられず少なくとも前者を退職し後者に採用されることをもつて転任と解することはできず被告らのこの点についての主張は採用できない。

(2)  次に被告らは本件撤回は信義則に反し、無効である旨主張する。

<証拠―省略>を綜合すると、原告らは(二)に認定したような事情で全逓本部の指導方針と、当局側および全逓支部役員の方針との板ばさみとなりながらとかく辞職願を提出したが、その後も内心では動揺し、また五条電報電話局の新設に伴つて下市電報電話局の市外電話施設が吸収されて同局が無手動(無人)方式になるのではないかという噂が再燃して、家族と別居できない状態にあつた原告今西(当時宇原)和子、父が高血圧症となつた原告上中栄美子などは昭和三六年一月一〇前後から辞職願の撤回を決意し、原告上中はその頃前記蜂谷支部長までその旨申し出ており、またその頃から全逓本部および同地区本部から数名の者が全逓の方針の説得のため派遣され特に同年一月二二日には下市で、翌二三日には上市で全逓宝樹執行委員長を中心に組合員大会があり、前に認定した事前協議協約の獲得まで全組合員が郵政省に居残ることの方針の確認がなされ、全逓近畿地方本部および同奈良地区本部執行部では辞職願の撤回手続に入り前記(三)に認定したとおり同年二月四日には槇野近畿地本、河霜奈良地区、両委員長らが原告上中栄美子らを同行して大阪郵政局に同局人事部長津島正らを訪ねて外形上辞職願提出者一一〇名全員の辞職願の撤回の申出をしたこと、またその頃から原告宮坂八重子は自分の視力が公社側の採用条件に足らず公社では採用してくれないのではないかと危惧しはじめ、原告玉崎陽子は母の結核症が悪化したことから昼間勤務のみの職業につきたい希望が生じたこと(電話交換手の職種は夜間勤務をも必要とする。)、そして同年二月二四日に原告柳本当時福井)を除いた原告全員が、同年三月一日に原告柳本(当時福井)がそれぞれ組合側の指導下に辞職願の撤回の書面を作成し、内容証明郵便に付して発送し、それと前後して一一〇名の辞職願提出者のうち一〇六名が原告らと同じ手段をとつたこと、他方昭和三五年一二月末から昭和三六年一月六日にかけて(二)に認定したような辞職願の提出を受けた郵政省側は、当時なされていた公社側との要員計画打合せをつゞけ、同年一月一八日までにその協議を終了し、公社の要請によつて同月下旬から交換業務従事者の事前訓練を実施し、また公社との打合せに基づいて同月二月一七日辞職願提出者全員に辞職承認予告通知書を更に同年三月八日には大阪郵政局長名で辞職発令予告通知書を書留郵便で発送したが、いずれも原告らが受領拒絶に出て受領しておらず、更に郵政省側は同年三月一八日に公社への転出を期待し且つ原告らの辞職願の撒回が斗争手段としてなされ、しかもそれには個人的事情はなく信義に反し違法なものと解して右の辞職願提出者に対しそれぞれ任命権者からの依願免職処分の辞令書を発送したが原告らを含む該当者の多くがこれに従わず受領を拒絶したこと、また公社側は原告らの辞職願が撤回されたことを郵政省当局者から知らされたがすでに計画は完成の域にあり、電話加入者などに対する直営化への準備も着々進んでいたので、郵政省と原告らとの関係も何とか収拾できるだろうとの考えもあり、予定どおり計画をおしすゝめて同年二月二八日には採用予告通知を発送したところ、三月に入つても原告らを含む組合側と郵政省当局間の合理化反対斗争はおさまらない形勢となつたので計画実施の混乱を避けるため特別の切換方法を実施することとなり、三月一九日切換の予定を一日繰上げて同月一八日に行い、有手動の市外電話の交換を新設吉野電報電話局に集中させ、また管理者を動員して施設の稼動を続けながら職員の採用期日を同月二二日まで延期して郵政省と協力して転職該当者の勧誘にあたり漸く九五名の公社転職志望職員を獲得して加入者への混乱をどうにか避けて直営化を完了したこと、このため公社は特別出費として八〇〇万円から九〇〇万円程度を支出していること、原告らの新職場となる吉野電報電話局は上市郵便局から北東約一・二粁、下市電報電話局から北方約四五〇米の距離にあり、当時上市郵便局勤務者は吉野電報電話局へ、下市郵便局勤務者は下市電報電話局への転出が決定されており、吉野、下市各電報電話局がいずれも直営化直前に完成の三階建鉄筋コンクリート構造の冷暖房付近代的建築とみられうるものであり、また転出については慨ね原告らの身分は保障され、転出後の職級、初任給、年次休暇、共済組合の長期給付、公社共済組合の優先貸付等については転出によつて不利益を蒙むることのないように配慮されていたことなどの事実を認めることができ、この認定を左右するに足る証拠はない。

以上の事実に弁論の全趣旨を綜合すると、原告らの退職願の提出は、原告らの都合に基づいてすゝんでなされたものではなく、公社の施設直営化という当局側の都合に基づく勧告に応じてされたものであり、原告らのうち早いものは昭和三六年一月一〇日頃に撤回を決意し、原告上中は辞職願回収者に申し出ており、更に一月二二日、二三日の全逓執行委員らを囲んだ組合員大会で辞職願撤回の決定があり、少くともその結果は二月四日に河霜地区委員長らを介して当局側に申し出られ、またしかも辞職願撤回の意思表示は遅くとも三月初頃までになされており直営化までには二〇日位の日数を残していたこと、原告らの多くは全逓の方針が動機となつて辞職願の撤回に出たものであるとはいえ、原告らは自らいわゆる合理化反対斗争の企画にあたつたものではなく、組織の構成員として組合の決定に従つたものにすぎず、仮に全逓の方針が違法であるとしても原告ら個人的立場から解するならば消極的ないし従属的な役割を果したにすぎないこと、当局側の準備の進捗状況は原告ら各自には知らされていなかつたこと、公社側としては多額の不要出費を余儀なくせられたが、それは原告らとの直接の契約関係から生じたものではないことなどの事情を窺うことができる。

ところで辞職願はこれを撤回することが信義に反すると認められる特段の事情のある場合は別としてその効果を発生するまではこれを撤回することは原則として自由であり、しかも右辞職願の撤回が信義に反するかどうかは撤回者自身の行為について勘案すべきものであると解すべきところ、以上のような事情のもとにおいては全逓が目的とした事前協議協約獲得斗争の手段としして辞職願の一斉撤回の挙に出るというようなことは、それはそれとして、信義則違反の成否を決する重要な資料となりうることはともかく、前記認定のような事態にさらされた原告ら撤回者自身の立場から考えるとき辞職願を撤回することが必ずしも信義に反すると認めうる特段の事情あるものは断定し得ないから、原告上中栄美子については昭和三六年二月四日に、その他の原告らについては内容証明郵便による辞職願撤回の書面が任命権者に到達したと認められる日、すなわち原告柳本(当時福井)幹子については同年三月一日の、原告上中、同柳本を除く原告らについては同年二月二四日の翌日頃に、それぞれ辞職願の撤回が有効になされたと認められる。

したがつてこの点についての被告らの主張に対する原告らその余の主張につき判断するまでもなく、原告らの辞職願の撤回を無視してなされた本件依願免職処分は違法であるといわなければならない。しかし信義に反しないかどうか、したがつて本件依願免職処分が違法であるかどうかということは前示認定の事実関係のもとでは必ずしも当時明白であつたとはいえないので、右の違法は本件依願免職処分の取消事由となる程度のものにすぎないと解すべきである。

(五)  原告らは、本件依願免職処分を発令したのは、原告らの辞職願の撤回が組合の方針に従つたものであることを理由に無視したもので、不当労働行為にあたり無効であると主張する。

しかし、前項認定のとおり当時当局側は原告らの辞職願の撤回が単に組合の指示に従つたものにすぎず、しかもそれには個人的事情はなく信義則に反し違法であるとして右撤回申出を無視し本件依願免職処分を発令したものであり、原告らの組合活動などを、すなわち組合との関係を動機とした処分とは認め得ないし、かえつて直営化に基づく原告らの職場確保のため公社への転出を期待してなした処分であると認められるので不当労働行為を構成するものということはできない。

(六)  原告らは、本件依願免職処分が実質上の解雇にあたり昭和三五年一二月一二日の労働協約に違反し無効であると主張する。

しかし(四)に認定したとおり本件処分は、依願免職処分であり且つ公社への転出を期待してした処分であることから、本件処分は過員を理由とした解雇処分には該当せず、したがつてこの主張も採用できない。

(七)  以上の次第で原告ら主張の本件依願免職処分の無効はこれを認めることができないので、これを前提として被告国に対して郵政省職員たる地位の確認を求める請求はこれを棄却すべきである。

(八)  なお原告柳本を除く原告らは、被告下市郵便局長に対し本件依願免職処分が無効であることを前提とした取消請求と取消原因を理由とした取消請求とを求めているところ、前者については前記のとおりその前提が認められず理由がないこと明らかであるが、後者については本件処分を取り消すべきものであることは(四)に認定したとおりである。

しかし、本件に対しては行政事件訴訟特例法(昭和二三年法律第八一号)および昭和三七年法律第一六一号による改正前の国家公務員法等九〇条の適用があり、行政事件訴訟特例法第二条により訴願前置が要件となつているところ、全記録に徴しても右手続がとられたと認めうる証拠はないので取消訴訟の要件を欠くものといわなければならない。

もつとも右原告らは本件依願免職処分は国家公務員法第八九条にいう処分でないと主張する。けれども本件処分は、少くとも同条第一項にいう著しく不利益な処分にあたると解するのが相当であつて、昭和三六年当時施行されていた人事院規則一三一第一条に但書(昭和二九年六月二八日施行)、すなわち「但し、法第八九条第二項の規定により処分説明書の交付を請求したにもかかわらず、処分を行つた者が、正当な理由なくして処分説明書を交付しなかつたと人事院が認めるときは、処分説明書の写は、添付することを要しない。」旨の規定がある点から処分説明書の交付がないからといつて国家公務員法第八九条第一項にいう処分にあたらないということはできない。

また右原告らの不当労働行為の主張についても(五)に記載したとおり認められないので昭和三七年法律第一六一号による改正前の国家公務員法第九〇条の適用を免かれ得ず、更に原告ら主張の労働委員会への申立も右同条の要件をみたすものとは解されないからこれらの主張は理由がないといわなければならない。

したがつて原告柳本を除く原告らの本件依願免職処分の取消請求はこれを却下すべきである。

(九)  よつて原告らの被告国に対する郵政省職員たる地位の確認を求める請求はこれを棄却し、原告柳本を除く原告らの被告下市郵便局長に対する本件依願免職処分の取消請求はこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九三条第一項本文を適用して主文のとおり判決する。(裁判長裁判官前田治一郎 裁判官鎌田泰輝 村瀬鎮雄)

原告目録(省略)

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